2024年12月03日 皆川正禧と実川の五十嵐家 門口実代学芸員の「選択され、継承される生活用具の資料性―離村時における当主の対応から――」の論文では1.皆川正禧と実川の五十嵐家は親戚関係2.五十嵐家の母方の実家は津川で酒造業を営む五十嵐家の分家と記載がある。津川には「きりん山」の麒麟山酒造と「麒麟」の下越酒造がある。「秘境実川を訪れた武人・文人」(五十嵐庄衛)という文献を見たらわかった。皆川守之輔は兄の佐藤平七郎が津川で酒造をやっていると記載あり佐藤は蒲原屋の下越酒造である事がわかった。安部能成(あべ よししげ〉は夏目漱石門下の逸材で、哲学者、教育家として活躍。戦後は文部大臣、学習院長の要職をつとめた。大正11年夏、皆川正禧の紹介で五十嵐家に逗留し「実川の水上遠く たずね来て 人のまことにあふぞ嬉しき」 の歌を詠んでいる。PS:ちなみに麒麟山酒造は正禧の生まれた西村のとなのの赤岩地区が発祥地です。 「無題」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
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